ボンクラプログラマーの雑記帳

目を開けたまま夢を見るプログラマーの雑記です。

虐殺器官考察:虐殺(わたし)のことばを阻むことは、誰にもできないー虐殺器官の真の特性について―

(2022/06/20追記)この考察を2022年版にアップデートしました。こちらもよろしくどうぞー
虐殺器官再考察:ジョン・ポールのことばを阻むことは、(権威主義へ回帰させてしまう力があるからいまは)だれにもできない? - ボンクラプログラマーの雑記帳 https://gckurabe.hatenablog.com/entry/2022/06/18/214125 
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 虐殺の言語。それは特定の言語を、特定の法則によって表現することにより、内戦を発生させ、虐殺をもたらすというもの。
 
 ではその虐殺の言語とは一体どういうものだったのか。
 
 そして、それを使用可能とした"彼ら"は本当に虐殺の言語に汚染されていなかったのか。
 
 これらの状況を精査することで判明したのは、虐殺の言語の、隠された特性だった。
 
虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

この考察の目的

 「虐殺の言語」の特性を理解することにより、ジョン・ポールとクラヴィス・シェパードをはじめとする人物たちの行動の真の理由を予測し、虐殺器官という物語の真実に近づくことを目的とする。そして、そこから見える世界から、虐殺器官という作品の良さを再認識してもらう。
 
 

はじめに

 さて、ハーモニー考察に引き続き、虐殺器官の考察をしていこうと思います。ハーモニー考察はこちら。
 この虐殺器官考察もネタバレ全開で行きますので、これまた作品を読みきった人向けの記事となってます。映画までは時間もありますし、ぜひ書店でお買い求めいただいてガッツリ読んでいただければと思います。僕はこれで小説にハマりました。驚きに満ち溢れた、ものすごい作品ですのでとてもおすすめです。
 
 では、本題に入っていきましょう。
 
 
 
 
 

 

「虐殺の言語」の動作の具体性は必要ない

 虐殺器官とは、虐殺の言語とは一体何だったのか。それはこれまで数多くの議論がなされてきていると思いますが、具体的に考察された記事は多くない、ということで、僕もそのひとりになってみよう、という思いでこの考察を書いています。
 
 実際のところ、虐殺の言語が具体的じゃないだとか、もっと詳しく説明して、とかはよく言われてることですが、そもそもこの虐殺の言語には作品そのものとして具体的な説明が必要とされていないから、あまり説明がない。と考えるのが妥当だと僕は感じています。
 
 というのも、すんごいネタバレしますが、引き継いだ"彼"が虐殺の言語を使えるようになるまでがグダグダになるわ、そしてそのあたりの説明しても作品としての面白さにはならないわ、ということで、作品としては相当無駄な部分が多くなるからです。
 
 あの結末を迎える点においては、そしてそれまでの過程全てを考えるのならば、虐殺の言語の動作は説明が十分に行われているのです。
 
 そりゃどーいうことだ、という話になるのですが、ジョンは次のような説明を行っています。
 
『言語の違いによらない深層の文法だから、そのことばを享受するきみたち自身にはそれが見えない』
 
 早い話が、ぼくらパンピーには絶対にわからへんで、と説明されててそれで終了してるのです。というわけで、動作の説明はこの作品においては一切ありません。
 
 それはさしずめパソコンのソフトがどう動いてるのかを事細かに説明せずともぼくらユーザーが使えるのとよく似ています。虐殺言語ソフトを作ったのがジョン・ポールで、虐殺言語ソフトのユーザーがクラヴィス・シェパード。この作品においてはそれ以上でもそれ以下でもありません。
 
 じゃあ虐殺の言語のすべてが解き明かされているのか、というとそれは全く違います。この作品においては、ある程度の推測を立てられるようにいろいろな仕掛けがつけられているのです。それが謎としてバラバラになっている状態ですが、それぞれがある程度線で繋げられる状態になっているのです。
 
 ……という前提をおいてお話をさせていただきます。それぞれの謎には意味がない、と一蹴されてしまえばおしまいですが、それでもつなげられるものであるとして、十分考察になり得るものだと判断したため、ここに示したいと考えています。
 
 
 謎といういくつもの点を、一本の線でつなげるためのひとつの解。
 
 それこそが、虐殺の言語がジョン・ポールとクラヴィス・シェパードにも汚染していた、というものです。
 
 それはつまり、虐殺のオルガンの演奏者そのものも、虐殺の言語に染め上げられていたということです。
 
 
 
 
 

「虐殺の言語」の特性

 この超常的な話には、大きな理由があります。それは、ジョン・ポールの虐殺の動機と、彼の挙動です。
 
 彼の挙動はどこまでも正気なように見える、と作品では語られていますが、その静かさは本当に正常なものなのでしょうか。なぜ虐殺を続けてきたんだろう?と語る虐殺の言語の被害者と、それほど違いがあるのでしょうか。
 
 アメリカのために、数多くの虐殺の世界を作り出すということは、本当に正常な動機だったのでしょうか。
 
 ではその前に、「虐殺の言語」の特性について考えてみようと思います。
 
  ジョンは「虐殺の言語」の特性について次のように語っています。
 
『この文法による言葉を長く聴き続けた人間の脳には、ある種の変化が発生する。とある価値判断に関わる脳の機能部位の活動が抑制されるのだ。それが、いわゆる『良心』と呼ばれてるものの方向づけを捻じ曲げる。ある特定の傾向へと』
 
 ですがこの作品においては、虐殺の言語は、被害者になぜ殺したのかを他の国の人たちがたずねると、理由が一気に霧散してなぜ殺してきたのかわからなくなるようです。それは開幕の元准将とか、ペンタゴンでの犯人の映像からも判明していることです。
 
 ということで、『方向性を捻じ曲げる』というのは一時的なもので、虐殺の言語に汚染していない外国人さえいれば解けるものだといえます。
 
 つまり、長く「虐殺の言語」を聞き続ける状況、いわゆるムードが必要だということです。集団の中で虐殺のムードが形成されていなければ、虐殺の言語は自然と解除されるようになっているのです。本来であれば全員が同じ文法によってしゃべり、反芻を続けることによって『良心』を抑制するはずですが、部外者の深層文法はさすがに違うので維持が不可能になるのです。
 
 なら、どうしてジョンはしきりにクラヴィスに虐殺をしてまわったのかを聞かれても正常でいられたのか。
 
 それは、有り体で言えばジョン・ポールが最も虐殺の言語に触れている時間が長かったためです。
 
 
 
 

 

虐殺の言語はジョンに感染し、潜伏し、発症し、最悪の汚染をした

 集団での虐殺のムードの形成というのは、一気に内戦が繰り広げられるようになるところから、非常に即効性の高いものといえます。つまり、汚染するまで、発症するまでの時間自体は比較的かからないと言えるのです。だからこそ、他者との虐殺の意思の共有、つまりはムードというもので共鳴を続ける必要があります。
 
 しかし、ジョン・ポールの場合は話が大きく変わります。
 
 ジョンはアメリカから研究費を捻出される前に、虐殺器官の存在に気づいています。しかもその後、地獄の観光スポットを作り続けていくわけですが、その時に現地人の言葉を使っていたのは間違いないことですし、嫌でも虐殺器官コンパイルのためには文字を見続けなければなりませんでした。よって、ジョン・ポールが最も虐殺の言語に触れている時間が長かったと言えるわけです。
 
 ですが、一番長かったといえども世界虐殺観光スポット作成の前に、すでにジョンは虐殺の言語によって虐殺の方向へと発症し、汚染されきっていたと言えます。
 
 それは、世界を巡っているときに、現地人の虐殺の列には絶対に加わらなかったというところに理由があります。それは終盤でクラヴィスに銃を持ったことは一度もないのではないか、と訊かれ、『実は今夜初めて手にしたよ』と回答しているところから判明しています。
 
 普通だったら、ムードのせいで虐殺に傾いてしまうのに、ジョンは傾かない。それはつまり、虐殺の方向性が完全に一方向に固まっているからこそ、汚染されきっているからこそ、なびかなくなっていると考えられるのです。その汚染のためには、発症のためには、ジョンには「時間」が必要とされていました。
 
 ではどのタイミングで完全に汚染が、というよりは「感染」が完了していたかといえば、国防総省にプレゼンをしにいけと言われる前、つまりは学術研究をしているその段階だったと考えるのが自然です。その時点で大量の「虐殺の言語」を見続けていたといえるわけですから。
 
 ですが、ジョンがおかしくなったのが、研究をしている段階だったわけでは決してありません。これはいわば、ウイルスの「感染」だけが完了した状態で、「潜伏」の状態に入っていたといえるのです。
 
 というのも、彼のこのあとのふるまいが大きな問題となるからです。
 
 では、何がトリガーとなってジョンが虐殺の言語が「発症」し、虐殺の言語に汚染されたのか。
 
 それは、サラエボに核が投下され、妻子が死亡したことを知ったタイミングです。
 
 彼はサラエボに一度訪れたあとに、『MITを辞め、半年のあいだ家にとじこもっていた』ようです。その後『突然有名PR会社』に入り、「虐殺の言語」をばらまきはじめました。
 
 この行動履歴はこのあと使う相当重要なものなのでよく覚えておいてください。
 
 で、「虐殺の言語」をばらまきはじめたのは、「アメリカのためだ」とジョンは語ってはいたのですが、最後の最後でルツィアが死んだ段階で、『ルツィアが望んだことを、自分はしようと思う。それが彼女へのわたしなりの贖罪だ』と語っています。たしかにルツィアは巻き込まれただけに過ぎなかったのは事実ですし、彼の言いたいこともすごくわかるのですが、心理の転換の早さはこうして検証してみると奇妙に見えてくるのです。
 
 これ、どこかでみたことありませんか。
 
 そうです、元准将のときとそっくりなのです。
 
 元准将の場合はなぜ殺してきたんだ、と問うていますし、内容こそ違います。ですが僕がいいたいのはそこではなく、心理の反転の速度が異常に早いところがそっくりだといいたいのです。
 
 憎きテロリストが完成し攻撃してくる前に殺し尽くす。ジョンはそれを決意していました。にも関わらず、ルツィアが撃たれてしまい、逃げている時、そこには固執を見せませんでした。アメリカの協力がなくなってなお、虐殺を続けようとしなかったのです。それは目の前に殺し屋のクラヴィスがいるから適当なことを言っている、といった感じもありません。もし適当なことを抜かして、とりあえずクラヴィスに協力してもらってるだけならもう少し行動に穴ができたり不審なふるまいが増えたりするものです。
 
 この状況から、ジョン・ポールの虐殺の真の理由が虐殺の言語によるものだといえます。他にあげられるものがあればよかったのですが、実際のところはジョンについてはほかはあまりありません。どちらかといえば「別の人物と行動が合致している」からこそ、この説に説得力がもたせられている状態です。なので、ジョンの行動の流れはなおのこと覚えておいてください。
 
 では今度は、そんなジョンを支えることにしたアメリカの『院内総務』は一体どういう理由でジョンを手伝わせていたのか、どうしてジョンに虐殺の動機を与えていたのかを考えてみようと思います。
 
 
 
 

切迫した世界のために動く院内総務の狙いとアメリカ内部での対立

 アメリカにおいて、ジョンの活躍はなくてはならないものでした。それはテロ行為の抑止のためではありましたが、なぜまだテロ攻撃もしてきていない国に対しての攻撃を行うことができていたのでしょうか。
 
 この手の巨大な国家は、だれかの意志ひとつでなにかがまかり通るような世界ではありません。必要だと判断され、発生するリスクや損害についてまで納得されている状態でなければ、人を動かすことは不可能ですし、ただの野蛮人として組織内部で干されたりするはずなのです。ですが、そんなことは起きることなく、内紛のコーディネートを続けられるようにジョンに支援を続けることができました。つまりそれだけ、状況が切迫していたといえるのです。
 
 この虐殺器官でのアメリカでは、情報社会が高いレベルで完成していました。それはテロの対策のためでしたが、ルーシャスは『現状の個人情報追跡によるセキュリティは意味がない』と語っており、ジョンによる虐殺めぐりが開始するまでは『セキュリティを高めていけばいくほど、世界の主要都市でのテロは増加』していました。
 
 つまり、テロはすでに制御不可能な領域に達した状況にあったのです。何としてでも止めようという決死の努力はセキュリティだけに留まらなかったはずでしたが、それらもすべてうまくいっていなかった、あるいは効果が薄かった状態にあったと考えていいでしょう。
 
 その根本的な対策として、MITのジョンの研究が、アメリカにとって殊更輝いて見えたのでしょう。ジョン曰く『政治的、民族的に不安定な地域のトラフィックを分析することで、残虐行為の発生を予測できる』研究として、解析が可能なものとして扱えると考えるようになったのです。
 
 ですが、解析できただけでは意味がなく、根本的にテロを起こしてきそうなところを「浄化」する必要が出てきていました。それも虐殺という、最悪の方法で。
 
 そんなとき、サラエボに核が落とされ、ついに根本的な対策を取る必要がでてきたのでしょう。
 
 サラエボの核がテロによるものだったのか、それは結局のところ不明なままでしたが、テロの象徴となったのは間違いなく、実際にインドにも核が落とされていたのが確認されています。よって、本当の本当に「浄化」に乗り出さなければ核戦争によって終末が訪れかねないと考えたのでしょうか、院内総務は本気でジョンへの支援を開始しました。それに対して虐殺の言語になびかれつつあったジョンも承諾し、ついに「浄化」はスタートしました。
 
 実際のところ、成功しました。『世界中で内戦や民族紛争が頻発するようになってから』、ついに世界からテロは消え失せたのです。
 
 しかし、アメリカも一枚岩ではありません。院内総務はさすがにこの事実をアメリカの内部にもたらすわけにもいきません。なので対立者として、軍があり、CIAもあり……といった状況は当然ながら発生しました。
 
 最終的にはジョンも追いつめられていきました。そしてジョンに関する情報も、どんどん更新を続けていきました。作戦を追うごとに、パズルのピースが埋められていくように。
 
 ですが、そんなさなかに死んでいった重要な人物がいたのを僕らは忘れてはいけません。
 
 アレックス。彼は院内総務のスパイだった可能性があります。
 
 
 
 

アレックスの死は自殺ではあったが別の理由があった?

 アレックスの死はこの作品において強い印象を与えるものとなっています。『地獄はここにあります。頭のなか、脳みそのなかに』というセリフはクラヴィスにとって強い印象となって出ています。
 
 ですが、その死がただの自殺だったのかどうか、それはよくわからない部分が多いです。
 
 アレックスの死因は、『車のなかでガス自殺』ということで、どうあがいても他殺が不可能な自殺方法です。ということで、暗殺ではなかったのは間違いないのですが、彼がなぜ死ぬことにしたのか、それは不明なままです。
 
 というのも、遺書が見つかることがなく、ウィリアムズもまた『相談くらい、してくれても良かったんじゃないか』といったように、誰にも語ることなく旅立ってしまっているためです。
 
 ですが、この院内総務のお話をここで取り出してみると、案外すんなりと答えが出てきてしまうのです。
 
 
『ぼくらは地獄に堕ちるのでしょうかね』
 
 これは冒頭、住人たちを見殺しにしていたときにアレックスの語ったことばです。
 
 彼自身、この状況下に相当悩んでいる描写とはいえるのですが、そうではありませんでした。彼は地獄がこの頭の中にあり、逃れることはゆるされないのだと語っていたのです。それはアレックス自体が地獄を形成し続けたから、というだけではなかったんじゃないか、と考えられるのです。
 
 それは、クラヴィスやウィリアムズ、リーランド同様に脳のマスキングを施されていて、この3人は結局自殺するまでには至っていないところに理由があります。
 
 つまり、自殺をするにも、なかなか決心がつけられないようになっているはずなのです。にも関わらず自殺をしたというのには、もっと別の理由も必要なはずです。
 
 よって、アレックスの自殺自体が院内総務に関連付けられた何かを隠蔽するために、自殺をしなければ逃れられないような状況下にあったと考えられるのです。
 
 
 アレックス本人から、別の理由による自殺だったんだと示唆させる描写はほとんどないのですが、ジョンは次のようにクラヴィスに語っています。
 
『きみたちがわたしを殺し損なうたびに、情報漏れ候補はすこしずつ絞りこまれてきたはずだ。わたしを殺すというよりまずリーク現特定のために立案された作戦だってあったかもしれんよ』
 
 実際、ジョンの神がかり的な逃走劇は協力者あってのことでしたし、しかも、アレックスが自殺したその段階で、ジョンが目撃されるとすべて発見されるようになっています。
 
 偶然が重なっただけなのかもしれませんが、アレックスがこの茶番の何かしらに関わっていて、だからこそ自殺を選ばなければならなくなったと考えるのが妥当です。
 
 そう考えると、アレックスは多くを背負い込んで、挙句の果てにはキリスト教において最悪の、「裏切りの罪」すらも背負うことになったのですから、彼にとってはより辛いことだったんじゃないかと僕は感じるのでした。
 
 ではこうして脱線気味にアレックスに関する憶測を展開したところで、元に戻って、アレックスの死がどんなものだったのかを結局知ることのできなかった、この物語の語り手であるクラヴィスについて考えていこうと思います。
 
 
 
 

ラヴィスこそが後継者となれた理由

 クラヴィス・シェパード、彼は最終的にジョン・ポールから虐殺の言語を引き継いできたのですが、どうしてあれほどまでにスムーズに引き継ぐことができたのか。
 
 それは、彼が『言語愛者』であった部分にあります。
 
『ぼくには、ことばが単なるコミュニケーションのツールには見えなかった。見えなかった、というのは、ぼくはことばを、リアルな手触りをもつ実体ある存在として感じていたからだ』
 
『ぼくは、ことばそのものがイメージとして感じられる』
 
 彼は異常な領域で言語を理解しています。それは日本語をはじめとした言語にも精通した文学部卒というだけでは言い表せないレベルのものです。
 
 そして、彼はその言語愛者であるがゆえに、「元准将」を殺すタイミングですでに「感染」していた描写が見られました。
 
『数分にわたって体を密着させているうちに、元准将の第一種軍装の色を、その色とりどりの勲章を、ぼくの体の迷彩が追従しはじめた。まるで相手の狂気がぼくの体に乗り移ってくるように思え、』
 
 
『男から漏れてくる言葉はまるで呪文のようで、それを聴いているぼくの正気にまで侵食してきそうな勢いだった』
 
 彼の言語愛者の力が本領発揮したのは、この部分にあったと考えられます。彼は言語の中からイメージを抽出可能な存在であるがゆえに、誰よりも速やかに感染した可能性があります。
 
 というのも、おなじ虐殺地帯を回り続ける他のメンバーは、クラヴィスのように強い変化が見られなかったためです。
 
 クラヴィスのように、ウィリアムズもまた悪夢を見がちになったのですが、ウィリアムズはクラヴィスの如く強烈なイメージで死者の国のような夢は構築できていないと語っています。
 
 また、クラヴィスが他の人物たちと大きく異なっているのは、最後の最後の行動の遷移です。
 
 クラヴィスは、ルツィアを殺され、果てにはジョンすらも殺されます。
 
 そして最終的に彼は家にひきこもりきりになって、その後世間に引きずり出されて公聴会の大舞台で繰り返し語る機会に恵まれたと語っています。
 
 これ、ジョン・ポールと同じなのです。
 
 大切な人を殺される(トリガー)→職をやめて引きこもる→外に出て「虐殺の言語」を語り出す(発症)
 
 これが虐殺の言語を語る者たちの「発症」までの遷移です。そしてそのトリガーとなるのは、大切な人が殺されるという部分にあります。
 
 クラヴィスは図らずもこの条件を踏んでしまったことで、ジョン・ポールの後継者となってしまったのです。
 
 クラヴィスにとっての大切な人の死というのが、ルツィア、ジョン、そしてエリシャ・シェパード、つまりはクラヴィスの母です。
 
 どうしてこうなるのかというと、引きこもりがスタートしたのはルツィアとジョンの死で、虐殺を開始する後押しとなったのが、クラヴィスにとっての母の死だったためです。クラヴィスは実際に出力されてきた母の伝記を読んだのちに、『作戦が終わって、ぼくはからっぽになったと思い込んでいたけれど、そこが真空ではなかった。真の空虚がぼくを圧倒した』と語っています。
 
 母に関する部分は謎につつまれているもののひとつです。しかし、クラヴィスはここで次のように語っています。
 
『そんな空虚にジョン・ポールのメモは実にぴったりと嵌った。もしくは、ジョン・ポールのメモのほうが、ぼくの空虚を見出したのかもしれない』
 
 つまり、クラヴィスにとっての母の死は、この出力されてきた伝記を読んだ時に起きたと考えるのが妥当でしょう。そうしてついに、クラヴィスはジョンと同じ道をたどることになったのです。
 
 エピローグで、クラヴィスアメリカ以外のすべての国を救うべく英語によって虐殺の物語をもたらしました。ですが、そこには罪を背負うとかいう動機はなかったと考えていいです。それこそが、虐殺の言語による人殺しなのですから。
 
 
 
 

「ことば」は意味をバイパスし、虐殺をもたらした

 ジョン・ポールの虐殺の動機は、「アメリカを救うため」。
 
 クラヴィスの虐殺の動機は、「アメリカ以外の国を救うため」。
 
 このふたつに、一体どれくらいの違いがあるのか、正直僕にはよくわかりません。ジョン自体もまた院内総務に促されてやってだだけな感じなのですし、クラヴィスに至っては『ジョン・ポールのメモのほうが、空虚を見出したのかもしれない』とすら語っています。
 
 つまり、クラヴィスの動機も、果てにはジョンの動機すらも、本当に空虚なものだったといえます。ジョンは次のように語っています。
 
『スローガンの直線的な『響き』が伝えているのは、憎め、守れ、そんなプリミティブな感情を伝えるための音楽なんじゃないか、そういう妄想だよ』
 
 彼の発言は、最終的には虐殺のオルガンの演奏者自身の動機にすらなっています。彼らは言語に汚染されていた以上、その虐殺の言語そのものの持つ『響き』に共鳴することしかできませんでした。
 
 結局のところ、虐殺の言語は、誰にも制御のできなかった呪いだったのです。
 
 
 
 

おまけ:考察者、倉部贋作の虐殺器官感想

 僕が小説にはまった最大の理由となっているのがこの作品です。永遠に書架に残し続ける、そんなすごい作品でした。これまでいろんな人たちにおすすめし、貸していき……と繰り返していくうちに、そしていろんなところに持ち歩いて読み返しまくっているうちに、たった一年半でものすごい年季の入ったかのようなボロボロ状態となっています。今度ハーモニーとか屍者の帝国みたいに新しい表紙版が出たら保存版として新しく購入しておかなきゃ……と感じているくらいです。いや、小説で保存用を買うことを決意することになる日が来ようとは……
 
 作品を読み返す、とかいうことは僕はさしてしないほうでしたし、そもそも本って媒体は好きじゃなかったんですよね。映像にしてくれよ、そう感じてしまうだめなティーン・エイジャーだったわけです。この虐殺器官は、そんなどーしようもないダメ人間の意識をガッツリ変えちゃうような、そんな作品でした。
 
 まずはじめに完全一人称というシステムに、これほどまでに魅力を感じた作品ははじめてでした。ああ、これは小説でしかできないことをやってるんだ、と無知な僕にすらも理解させる力というものが、そこにはありました。まずその語り口のうまさというか、さらさらと頭の中に入り込んでいくような文体に驚いたことは、今でもすぐに思い出せます。本ってこんなものもあるんだ!という驚きを、まず序文の時点で感じさせられるってなかなかないことですよね。
 
 そしてその語りだけが面白さの秘訣じゃなかったのがすごく印象的です。いろんなものについて説明がなされていくのですが、その何もかもに新鮮さを感じました。ハーモニーを読んでいた時もそうだったのですが、この話は知らなかった!とか、その視点の発想はなかった!とか、この話詳しく聞かせて!というふうに、知的好奇心がものすごく刺激されたのはいい思い出です。そうして僕は引用された作品に興味を持ち、購入していくようになって、やがて本が好きになっていったのでした。
 
 あとミステリー的な最後の展開にはやっぱりびっくりして、どうしてなんだろ……と考え続けてはや一年半、ようやく答えに近そうなのがでてきたなあ、という印象です。よぼよぼになって他界したあと、向こう側で伊藤計劃さんに会えたら虐殺器官とハーモニーのエピローグの答え聞きたい、めっちゃ聞きたい。そしてご本人の解答にまたびっくりしたい。
 
 
 そして、この作品がなければ本当にギルクラ改変作品をつくりだすことなんてできなかったので、感謝してもしきれないです。この作品から生み出された設定や、この作品の持っていた特性は、改変作品のなかで、全く違う、新しい形にして組み上げられています。それがいいことなのか悪いことなのか、それは僕にはわかりえませんが、それでも小説なんて書いたこともなかった僕に力をくれた、すごい作品であることは違いありません。
 
 
 私事はこのへんにしましょう。
 
 虐殺器官で好きなところはクラヴィスの「ぼく」語りにあります。ハーモニーでもそうでしたが、能力としては優秀なんだけど、なんだか頼りない感じが常に出ているのがいいんですよね。なんだかすごく人間らしい語り口が、よりすらすらと話を読ませていく、のめり込ませていく感じです。
 
 更にいいのが、ぎっしりつめこまれた説明の文にあります。どれもこれもストライクなんですよね、学生の僕にとっては。やれ認証社会だ、やれ罪と罰だ、やれ筋肉素材だ。見たことない世界を見せつけられて、それでいてかっこいいんですよ。
 
 うーん難しいなあ、どう伝えればいいんだろう。とにかく世界自体が有機的な感じなのがいいんでしょうか。思想も相当おもしろかったので手を出しまくりましたし、筋肉素材についてはびっくりしました。ああ、こういうのもSFなのかってなりましたね。初出なのかどうかはさっぱりわかりませんでしたが、なかなか映像でも見たことがなかったので読んでてわくわくしました。
 
 もともと人間に近いデザインのサイボーグとか、有機的なデザインが大好きな僕にとっては、この作品を読んでるだけで、見てるわけでもないのにすごく楽しく感じるんですよね。で、実際に映画版の映像を見た時は驚愕しました。
 
 結局映画版は延期にはなっちゃいましたけど、イントルード・ポッドが落下しながらガトリング撃ちまくってるのを見て呆然としました。そしてなにこれめちゃめちゃカッコイイ!!ってなったんですよね。ハーモニーのときのマンタ飛行機とか山羊ちゃんもすごく好きだったので映画がとっても楽しみでしょうがないです。小説で僕が見逃していた部分が映像となって出力されてくる感じってほんと好きなんですよねえ。
 
 映画版も今年中に公開になる?という話を風のうわさで聞いてますので、僕はそれをたのしみに待っていようと思います。ハーモニーや屍者の帝国で、映画としての作品の良さを引き出してきた3作品の最終作がどんなものになって出てくるのか、わくわくしますね。
 
 では今回はここまで。この考察が虐殺器官の良さを探るためのひとつの手がかりとなってくれることを祈っています。